書籍情報[出版裏話]

ブルーバックス「英語スピ−キング科学的上達法」

■1999年8月20日発売
■講談社 定価1,680円〈税込〉
■ISBN 4-06-257263-x

購入する>講談社BOOKクラブへ

ブルーバックス「英語スピ−キング科学的上達法」

1999年 3月下旬

ブルーバックス「英語リスニング科学的上達法」、「ATR CALL 英語リスニング 科学的上達法」の両者とも好評。講談社科学図書編集部、倉田編集者の姿を ATRで見かけるようになる。
まさか、こんなに早くに次をやるなんてことはない?…だろう ない…といいな。

倉田:

ATR CALL で頑張っていただきましたから、少しお休みいただきたいのは山々ですが(社交辞令)、
リスニングの次はスピーキングですよねっ(本音)

室長:

是非やりましょう<ニコニコ>
(この頃はまだ他人事だったのだが、やがてこの言葉が自らの身にも厄災を招く
ことになる。しかしこのときの室長は、まだそのことを知る由も無かった…)

私ら:

アイアイサー(…)

 

どんなことが出来そうか倉田氏にデモする。彼の目が輝きを増し、 つい、これもできる、あれもできると手の内をすべて見せてしまう。 いつものパターンだ。こうして毎回 四次元ポケットの底まで見られてしまい、 締め切りを伸ばす口実のネタ切れをすぐおこすのだ。

1999年 春 4月初旬

最も大きな問題は, UNIX上で開発した音声認識エンジンを、 2ヵ月ほとでWindows用に書き換えねばならないことである。 そこへ、マルコフ君という強力な助人がやってくる。 本人は、自信満々の様子。
出来るのか? 間に合うのか?
マルコフ君、あなたを信じていいの? 信じてるからねっ
 

1999年 春 5月初旬

出版予定日は7月だったが、早々と一ヵ月延期してもらう。
すこし、精神的に余裕ができた。

春 5月下旬

エリックとマルコフ君が「Windowsの認識エンジン出来たよ」と持ってくる。

しまった(>_<)

彼らに一ヵ月延期になったことを知らせるの忘れてた!
ごめんね & どうもありがとう, エリック, マルコフ。。。
締め切りに遅れてばかりの自分達の仕事ぶりを少し反省。

1999年 夏 6月某日

三次元CGが間に合うか、リアルタイムのフォルマント抽出はうまくいくのか、 mecsはWindowsでも正しく動作するか、等々不安材料は山積み。

夏 7月某日

倉田氏から電話があり、「いつCD-ROMをとりに伺いましょうか」との問い合わせに、 明確な返答ができない。 仕方がないので、「いつでもいいですよ〜」と言ったところ、飛んで来てしまう。

こうなったら, 手伝ってもらうしかない. 本人は, 「缶詰にして, さぼらないように見張る」つもりで来たのだろう.

しかし, それは甘い考えだ. 猫の手も借りたい状態なのだから, 編集者といえども, 遠慮なくこき使われてしまう. それなりに, 役割分担ができていくから不思議だ.

倉田氏が本領を発揮するのは, やはり文章の校正. 「,」と「、」の違いはもとより, 我々の目が行き届かないところを,どんどん校正してくれる。

約一週間、山田組総勢6名+倉田氏の7人がラストスパートをかける。夜も昼 もない。今日が何日で何曜日かの感覚を失って行く。

ちなみに編集者の倉田氏は、これまでに京都で8泊ほどしたことがあるのだが、 そのうちの6泊はATR泊という猛者。

日曜日には、マルコフ君を呼び出す。

山田組歴が一番短く、しかも自由と個人主義の国、アメリカから帰国したばかりの 田嶋圭一にとって、この一週間はカルチャーショック以外の何物でもなかった。研 究成果を一般の人々に知ってもらうため、チームワークを固め、徹夜で作業を続け る研究者軍団。そこには、自由や個人主義はかけらもない。しかも、そこかしこで 「寝るんじゃない! 根性が足らん!! それでも日本人かっ!!!」と、頬を張る音が する...わけではなく、全員がすすんで参加している。典型的な日本文化に親しむ 良い機会だったと思うことにしておこう。ちょっと特殊すぎる気もするが。

私用で出かけていた久保理恵子から、夜電話が入る。 「もし、必要だったら今から行きますが。。」 おそらく、単なる頑張って下さいねという挨拶程度のつもりの一言だったのだろう。 しかし、間髪を入れない「ありがとう、すぐ来て!」という返答に、電話の 向こうで一瞬絶句。しかし、次の瞬間「やっぱり私がいなきゃダメね」と認識を新たにしたのであろう。気が変わらない内にとばかりに、山田組の若い者がすぐさま車 で誘拐に向かう。徹夜部隊に合流

深夜、突然ラジオ体操が始まる。実は、山田玲子は子供の小学校のラジオ体操係。 なのに、ラジオ体操を覚えていない。森本健明のネットワーク検索により、曲も振付 けの説明ページも入手。山田は研究所からラジオ体操場所へ直行、体操とスタンプ押しを済ませ、研究所へ直帰。

ところで、今回大きな支障となったのが、場所の問題。山田組メンバーのデスクは 研究所内で三箇所に分かれている。それもかなりの距離を置いて、だ。画面を プリントアウトして、そこに修正情報やバグ情報を鉛筆で書き込み、整理し、 足立隆弘に回す、というのが主な仕事の流れ。

こういう時には、電子メールは役に立たない。いわゆる、スニーカーネットワークというやつだ。なんでも電子化するよりも、ローテクに頼るときには素直に頼った方がかえって効率が良い。そして、高田智子が走った。三箇所をぐるぐると走った。実は、彼女、見かけは華奢 だが、元トライアスロンの選手だったりする。しかし、回覧資料の通し番号が3 桁に迫った頃には疲れが見え始める。次回からは社内に自転車を持ち込むことも考えねばなるまい。

駒木亮は普段からコマかい。きっちりしている。彼の机の回りは、全てのもの が直角と直線で構成されている。そんな彼のこと、そんなことまで表を作って連絡し なくてもいいのに、と思うこともしばしば。しかし、今回は、彼のバグ情報整理整頓表のおかげで最初混沌としていた作業も、何とか収集がついた。

これだけ大勢が詰めて仕事をすると、食事の用意も大変だ。 外に食べに行く時間的/精神的余裕などなく、なるべくバリエーションを持たせるよう、 仕出し屋、宅配、コンビニなど手を替え、品をかえる、いれたての珈琲を配るなど、 菅沼秘書の努力は続く。

ところで、お弁当代は私が払ったことを皆は覚えてくれているのだろうか。。(RAY)

ハイ、覚えていますよ。あと、徹夜一日目は外食する余裕があり、そのときは私が出したような気がします。出版を重ねる度に、夕食時の人数が増えていっているような気がするのは気のせいでしょうか。(AD)

それにしても、今回のプログラム作成は困難である。パソコンに日本人のRとLの発音 を評定させるというのであるから、上手な発音では上手だったという判定を、下手だ ったら「ダメ」という判定結果を的確に出す必要がある。ということは、プログラムのテストをする際に、上手な発音や下手な発音を試さなくてはならない。そこへもって きて、パソコンの機種の違いやマイクの違いがどの程度結果に影響するかもチェックする必要がある。ネイティブの発音をはじめ、メンバーの中途半端に上手だったり、 めちゃくちゃ下手なRやLの発音を、森本が日本橋で買い集めてきたいろいろなマイクを使って、そこかしこで録音し、試すしかない。

こうして、深夜の研究所になり響く「ra〜」「la〜」という呪文のような声は、 忘れられない思い出のサウンドスケープとして、各自の心の中で昇華した。
 

1999年 7月下旬

本文の校了は、CD-ROMの後にやってくる。

実は、最初は他人事のように軽く考えていた室長も一章受け持っている。 ATRとNTTを兼任という激務のなか、海外出張も間にはさみ、それでもさすが室長。 出来上がったゲラを見ると、いつの間にか、ちゃっかりと、素敵なイラストをたくさん入れてもらい、素晴らしい出来上がりだ。
片桐さん、ずるい〜(TY, RAY)

山田恒夫の平均睡眠時間は3時間を切る。 CD-ROMから引続きの山田玲子は、同じく引続きの倉田氏と、会話を交わしているようで、ちぐはぐしてくる。二人とも、ファイルや書類をどこに置いたかわけがわからなくなってくる。
何とか本文も校了。残るは、Webだ。
 

1999年 8月中旬

Webの作業は順調。コンテンツ担当の駒木の顔が緊張にひきつっているのとは裏腹に、CGI担当の森本の顔に余裕の色が漂う。この余裕の気配は嘘ではなかった。8月20日、ほぼ順調に立ち上がる。森本曰く「今回は気持ち悪いくらい順調っス!」…単に、比較の対照となった前回が難航しすぎたということかもしれない。。。

1999年 8月

始まりはいつも突然、それも苛酷に始まる。
ようやく本も仕上り、Webも立ち上ってホッとし始めた矢先の出来事である。盆の怪談話のシーズンは過ぎたというのに、我々の元には、背筋も凍る一本の恐怖の電話が入った。

ある書店さんで、販売促進用のビデオを流していただけるそうなんで す。
そのようなわけで、ビデオを作ってください。じゃ、よろしく。

「そのようなわけ」がどのようなわけか状況がうまく飲み込めなかったが、自前で販促用ビデオを作らなければならないという状況に置かれたことは把握できた。 しかし、映像プロダクションでもない私達が、なぜにビデオ製作までしなければならないのだろう...と、いう気はしたが、素直に従うことにする。きっと、倉田氏 の声には暗示効果があるのだろう。逆らえない。何はともあれ、絵コンテと台本を作り、撮影にかかることにした。

出演は山田組メンバーで、新婚ホヤホヤ駒木氏のきれいな奥様である。撮影のため に有休を使ってまで来てくださった。これは失敗するわけでにはいかない!きれい に撮影できないと、後で夫婦ツープラトンの攻撃で、血の雨が降る!しかし、残念ながら我々の手元にはレフ板はおろか、プロの撮影機材は無い。今時、高校の放送 部でもこれだけチープな撮りはしないぜぇという状態ではあったが、知恵とチームワークで無事撮影を終えた。

ソフトが一つのウリであるので、ソフトの実行画面は動画素材として重要だ。しかし、コンピュータの画面をきれいにビデオに録画するのは至難の技。色々と試行錯誤しつつ、日本橋にパーツを買いに行きつつ(それも自腹)、なんとか良好 な結果を得られた。

こうして、素材は揃った。

その道のプロではないが、山田組には動画を使用した実験を行った際に構築した、 ノンリニアビデオ編集環境がある。もう随分と長いこと使用していなかったのだが、 埃をはらって再び火を入れることにする。

環境としては、NuBus最後のMacであるPowerMac9500に、M-JPEGエンコーダ/デコーダの 乗ったRadiusのビデオキャプチャ/出力カードが刺さり、さらに動画編集用に2台の 1GB WIDE SCSIをストライピングのRAID 0接続しているという環境だ。こう書くと何だか凄いもののように思える。たしかに当時ではかなりの環境であったが、今ではそれほどたいした環境でもない。何しろ4年前のものである。ドッグイヤーと も呼ばれる計算機の世界では、今となっては白亜紀の代物とも言えよう。今では 普通の家庭のパパが VAIO を買って、子供の成長記録ビデオを自宅で編集する時代 である。

以前はこれを使用してビデオ編集をしたり、数多くの実験をこなして来たのだが、 さすがに今となっては実用的なスピードではないような気がして来た。ただ単に、 高速な環境に慣れて贅沢になったということかもしれないが、この上で編集作業を行うのは耐えられない感じだ。また、Mac版のPremierはバージョンアップせずにほ かっておいたので、Version 4のまま。Version 5から劇的にインターフェイスが良くなっているので、出来ればこれが使いたい。では Premier 5.1 の環境がある Windowsマシンにキャプチャしたファイルを持って行って編集をし、再びMacに持っ て来てビデオ出力を...と考えたのだが、ファイルのやりとりがうまく出来 なかったために挫折。どうしよう...

と、ここに来て、朗報がもたらされた。何と、買ったばかりのピッカピッカのノンリニアビデオ編集環境様が、社長室に鎮座めされて奉られておられるという話だ。 さりげなく偵察に行くと、DVをベースとした完璧な環境だ。これで作業が出来れば、 さぞかし作業は捗るであろう。しかし、問題は社長室に置かれているということ。 メンバーのうちの誰が社長の横に座り、社長室に二人っきりで何時間も作業をするのであろうか? 前の晩から様々なシチュエーションを考え、話しかけられたとき のための共通の話題を考えなければなるまい。それも、ここは関西である以上、話にはボケとツッコミ、それとオチが必要だろう。それら全て、社長を前にしてうま くできるだろうか...

そんなことを考えると、緊張のあまり胃潰瘍になりそうである。全員急に「ど〜ぞ、 ど〜ぞ。いぇいぇ、私なんかそんな...」と、つつましく遠慮がちになったり、 急用が入ったり、論文の締め切りが出来たり、取材が入ったり、長期休暇を取ったりしはじめた。

しかし、ここでも幸運の女神は我々に再び微笑んだ。社長は出張に行くため、金曜日から月曜は社長室がフリーになるそうだ。また、その期間は自由に使っても構わ ないというお許しも出た。全員で「よっしゃ!」と、色が白くなるまで拳を固く 握りしめたのは言うまでもない。

かくして、土日返上のPremianこと高田氏の玄人はだしの編集作業のかいあって、 素晴らしい販促ビデオが出来上がった。残念ながら8月30日現在、東京の一部の書 店でのみ流すことが決まっているという状況である。「うちの店でも流すことを検討したいのような、奇特な...いえ、ありがたいお話を頂ける場合は、 講談社に連絡して頂きたく考えている。倉田氏が、懇切丁寧に対応してく ださるはずです。 

1999年 8月下旬

皆が「完了」の充実感に浸っている中、一人作業を続けているのが田嶋圭一。Webページの英語化という大事な仕事が残っているのだ。公開実験のデータは世界中から集めたい。そのためには、英語ページは必須。アンカー田嶋、頑張れ!